親子関係と育児ストレス

千葉カウンセリングルーム

親子関係

家族の発達と親子関係

多世代家族療法(呼び名はどうでもいいです)にMcGoldrick,M(マクゴールドリック)という人がいまして、家族ライフサイクル(家族の一生の過程)の段階を示しました。

個人が発達するように、家族も発達するとして、7段階を示しました。

各段階の移行期は、家族はこれまでのパターンやルールでは適応できなくなります。

このような時に、家族はシステム(家族療法では家族はお互いが影響しあい全体を構成する1つのシステムとみなします)ですので、
以前のパターンやルールに戻そうとする現状維持の力と、質が変わって新しい構造やルールが生まれる力の両方が働きます。

この時に家族で揉めながらも柔軟に家族の質が変わって新しい家族の姿を作れると、
次の段階への移行に成功します。

反対に現状維持に留まってしまうと、家族全体や家族の誰かに問題が起きる、と考えます。

7段階を表にするとそれだけでスペースをとるので掲載できませんが、そのうちの1つ(第三段階)だけ掲載させていただきます。

家族ライフサイクルの段階移行の情緒過程:基本原則発達的に前進するために家族に求められる第二次変化
(第二次変化は質的に変わる変化のこと)
幼い子どもがいる家族新たなメンバーをシステムに受け入れるa.子どものスペースを作るためのカップルシステムの調整
b.子育てと経済的活動、家事の協働
c.親役割りと祖父母役割を含む拡大家族との関係の再編
d.新たな家族形態と関係でのコミュニティと地域社会との関係の再編

第三段階を見てみると当たり前のような内容ですが…
理屈で言えば、夫婦に子どもが生まれると、カップルから親子になり、夫婦は自分達に適した育児の形を柔軟に作る必要があります。

ですがこの段階で、男は仕事で女性は家事・育児に専念するべき、または子どもが生まれるまでの夫婦の暗黙の了解などに固執すると、
夫婦間で葛藤が生まれ、夫婦間の不和(不倫や離婚にも)や、子育に力を注げなくなったり、ストレスでうつになったり、ということに発展もします。
そして、その後の親子関係にも影響します。

反対に、夫婦で(揉めながらも)協力して何とか乗り切れると、夫婦は親密性を増し、親としても成長できる、となります。

家族のライフサイクルの移行期は、何とか乗り越えられれば家族(家族成員の個人も)が成長する機会でもあります。

家族が質的に変化する柔軟性が求められます。

家族境界と親子関係

家族療法では家族を一つのシステム(お互いが影響しあい全体を構成する)と考えます。

そして、家族という一つのシステムの中に、夫婦やきょうだいといったサブシステム(下位システム)があるとしています。

家族境界の境界とは、家族の個人やサブシステムの区切りを表現した抽象的な概念です。

また家族療法では家族には世代間(祖父母、父母、子)で階層と力関係があると考えます。

たとえば子どもについて父母が決定するところを、祖父母の力が強いと世代間境界を破られて、父母の意見が通らなくなります。

もしこの状態で父母子に問題が起きたら、父母の力を強めて、祖父母の薄い境界を厚くする、ということが効果的なこともあります。

また家族境界と親子関係で注意すべきものに、連合という概念があります。

連合とは2者が結びついて1者と対抗する状態です。

たとえば、家事・育児に関心を示さない父親に対して、
母親が子どもを抱え込んだ母子連合で父親に対抗する状態です。

本来は、父母サブシステムで子育てに向き合うところを、
父母と子の世代間境界を破ってしまっています。

家事・育児という父母で揉めながらも乗り越える課題に、子どもが巻き込まれている状態になります。

他にも迂回という概念もあります。

父母が葛藤状態にあるときに子どもが問題を起こしたりして、
父母の葛藤が目立たなくなる状態です。

この状態ですと、子どもが改善すると父母の不仲などが表面化してしまうので、子どもは良くなれない、という状態になってしまいます。

境界は厚すぎても薄すぎても、家族の機能が落ちてしまいます。


親子関係で揉めている時、子どもが問題行動を起こしたとき、

家族ライフサイクルの段階を移行するために家族は柔軟に変化しようとしているか、
世代間境界は適度に保たれているか、
子どもの発達段階にあわせて親の対応も変化しているか、

を考えていただけると良いかと思います(揉めている時にそんな余裕はなく、理想論なことは分かっていますが…)。

思春期と親子関係

※思春期については不登校のページの思春期の親に対する葛藤について
もご覧ください。

成重先生(成重竜一郎『不登校に陥る子どもたち 「思春期のつまずき」から抜け出すためのプロセス』 合同出版 2021年)によると、
思春期の子どもに対する親の接し方の原則は、「去る者は追わず来る者は拒まず」
としています。

子どもがうまくいかなかったり、疲れたりしてリビングにいたり親に関わってくる時は、
優しく相手をする、「来るものは拒まず」。

反対に家庭外の活動や対人関係が増えて、親から自発的に離れているのであれば、
親から見ると危なっかしくても「去る者は追わず」。
(もちろん、子どもの抱えている困難さや危険度によっては、相応の対応が必要になります。)

成重先生によると大抵の親は、
「去る者は追わず、来るものは拒まず」の正反対のことをやりがち、とのことです。

子どもが何かやろうとすると危うさを感じて反対したくなる、
子どもが家で何もせずにごろごろしていると、怠けているように思い、何かするように言う(大抵は勉強しなさい)。
これでは「去る者は追い、来るものを拒む」であると。

そのようにしてしまうのは親が子どもを見過ぎている、
つまり過保護・過干渉であるとしています。

親が子どもとの関係を少し引いた位置が見直すための方法として、
夫婦関係を大事にすることを成重先生は提案しています。

思春期までの子どもとの関係、子どもの抱えている困難さによって、
思春期の子どもとの関わり方も変わりますが、
千葉カウンセリングルームの考えるポイントとしては、
子どもの状態をすぐに決めつけないで、よく観察することなのだと思います。

子どもが壁にぶつかっているのか、ぶつかっていても乗り越えられそうなのか、まだエネルギーはあるのか、それとも消耗しきって助けが必要なのか。

思春期は家の外では、他者からどう見られるかを大変気にします。
家族だからこそ見れる思春期の子どもの姿もあると思います。

親の方に視点を移すと、
もし親が何でも手(口)を出したくなってしまうとすると、
親自身が何か(ゲシュタルト療法で言うところの)未完了のものを抱えているのかもしれません。

育児ストレスについて

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自己実現と子育ての葛藤

高度経済成長期以前は、家事・育児は手仕事ですし、出産する子どもの人数も多かったです。
当然、一日の家事・育児の時間は今よりも多くかかります。

子どもの人数が多いので子育ての期間も長くなります。

女性は子どもを一人前にすることで、手一杯の人生だったそうです。

一方で現在は、家事・育児はドンドンと省エネと外注が可能になってきています。

離乳食は購入できますし、紙オムツも使い捨てです。
食事は宅配してくれますし、掃除機も洗濯機もスイッチを入れるだけの高性能なものもあります。

保育園、学童クラブだけでなく習い事も多くあり、子どもが家にいる時間はいくらでも短くできます。

子どもの人数も少ないので、子育ての期間も短くなります。

さらに寿命も延びているので、子育てを終えた後の時間も長く残っています。

柏木先生(柏木恵子・大野祥子・平山順子『家族心理学への招待[第2版]』ミネルヴァ書房 2009年)によると、上記のような状況にあって

女性は妻/母であることだけで人生を幸せに全うできなくなった今日、青年期に確立したアイデンティティでは済まなくなった、アイデンティティの再考が迫られているのです。育児不安とはその現れとみることができます。
(中略)
そうした観点からみると、今、子どもはかわいい/育児は大事と思いつつも、これが自分の将来の希望ある展望に繋がらないと思ったとき、不安や焦燥、不満をもつのは当然のことでしょう。

柏木恵子・大野祥子・平山順子『家族心理学への招待[第2版]』ミネルヴァ書房 2009年 より

とされています。

また家事・育児が省エネになったとはいっても、
育児には多くの親(母)の資源(時間・エネルギー・お金)を費やします。

夫婦関係のページの男性は仕事、女性は家事・育児は社会の変化によりつくられた
に記載しましたが、
女性は以前であれば家事・育児に親(母)資源を投入して、子育てを全うする社会(他に選択肢もなかった)でした。

ですが、現在は母/妻の役割を全うするだけでは幸せな一生と感じにくい社会です。

子育てに親(母)の資源を全て投入してしまうと、親(母)自身の使う資源が無くなってしまいます。

ここで、限られた親(母)資源を自分と子どもにどう配分するか、で葛藤します。

また柏木先生の引用になってしまいますが、

(前略)
そして、子ども/育児と自分、双方にバランスよく投資できればいいのですが、一方への投資だけになってしまうと、自己生存/発達が脅かされて問題となり葛藤を生じます。育児不安とはそうした葛藤の反映でありそれは子育てつまり母親役割が即自分の生き甲斐/発達であり得たかつての時代にはあり得なかったこと。それは少子/長命化といい家事育児の省力化といい、いずれも人類がよかれと進展させた文明がもたらした結果にほかなりません。その結果が、良妻賢母や性別役割分業を無化し、女性に「よりよく生きる」の再考を迫っているのです。

柏木恵子・大野祥子・平山順子『家族心理学への招待[第2版]』ミネルヴァ書房 2009年 より

とあります。

女性についてだけ言及してしまいましたが、
男性も会社勤めだけでは、定年後の時間を持て余してしまいます。

終身雇用が難しい社会ですので、
副業をはじめとして会社以外での活動に充実感を求める人も増えています。

男性も女性も、一つの役割では満たされにくい社会でどう生きていくか。

選択肢が多いことは悩みにも繋がります。

子育てをしながら親自身の人生を悩むのですから、親は本当に大変です。

子育てと仕事を両方行うメリット・充実感

佐藤先生は保育園・幼稚園に在籍する子どもの父母に質問紙調査をしています。

その考察をいくつか引用します。

・育児感情については、フルタイム職の母親は、「子ども・子育てへの肯定感」がパートタイム職の母親と比較して高い傾向にあり、「子育てへの否定感」は他の2群と比較して有意に低いことが明らかになった。このことから、一日8時間以上の家庭外労働に従事している妻たちは、夫のサポートを得て育児にポジティブに携わっている可能性は高い。

・専業主婦の母親の「子ども・子育てへの肯定感」はフルタイム職の母親と同じであるが、「子育てへの否定感」がフルタイム職の母親と比較して有意に高い。子育てが思い通りにいかずイライラする、子どもから解放されたいと思いつつそれができないというストレスを強く感じていると推察される。

・母親にとって職業生活と家庭生活の両方を担うことが「子育てへの否定感」を低減させる可能性が示唆された。

佐藤淑子「父親と母親の職業生活及び家族生活と家事・育児行動」『鎌倉女子大学紀要』第19号 pp.25-35 2012年 より

佐藤先生の考察は千葉カウンセリングルームの日頃の肌感覚と一致します。

専業主婦の方は子育てにいきづまっても逃げ場を作りにくい、
母親の社会的立場(経済力)が高いと父親の育児協力を引き出しやすい、
母親が家庭外に活躍の場を持っている方が家庭の問題の影響を受けにくく精神的に安定しやすい、
父親が母親の意向を汲まずに仕事を制限すると母親の感情にマイナスで子どもに影響する、
などです。

家事・育児と仕事の両立は大変ですが、忙しいだけではありません。

引用ばかりになってしまうので控えますが、親(母親)にとってのメリットも多くあります。

現在は高度経済成長期以前と比べて、家事・育児で評価を得る機会は少ないですし、充実感も得にくいでしょう。
仕事の方が頑張りに応じて成果も出やすく、充実感を得やすいこともあるはずです。

長々と書いてしまいましたが、家事・育児と仕事を並行することは周囲の理解があればメリットにもなりますが、
協力が得られずに一人で苦しむようならデメリットにもなります。

そして、これは子どもにとってのメリット・デメリットに直結します。

周囲とコミュニケーションをとってキャパオーバーにならないならば、
親(母)の仕事は子育てにもプラスに働くのでしょう。

父親の育児参加と育児ストレス

千葉カウンセリングルーム

総説論文(過去の研究を調査して、その結果を比較検討する)になりますが、参考になると思いますので、引用させていただきます。

「総説 父親の育児参加が母親、子ども、父親自身に与える影響に関する文献レビュー」では、
2010年以降に掲載された和文論文22編、英文4編のレビューを行って、
日本における子どもが乳幼児期の父親の育児参加が母親、子ども、父親自身に与える影響についてまとめています。

考察で2点の傾向をあげています。

1点目は、母親が父親の積極的な育児参加を認知している場合、
母親の育児負担感が低く、幸福度が高い傾向がみられた。

子どもの健康や発達、第二子・第三子の出生にも良い影響を及ぼしている可能性が示唆される。

一方で2点目は、父親が自分自身で評価した育児参加度合は、
母親の負担感とは直接関連しない可能性が示唆された。

この2点から、
今後、育児参加を促進する上で、おむつを替えるなどの物理・身体的な育児参加(直接的な育児参加)だけでなく、
「妻との対話」や「妻に対する精神的援助」など夫婦間のコミュニケーション(間接的育児参加)にも注目する必要性が示唆された、
としています。

つまり、父親が、育児している、と自分で満足しているだけでは、良い効果は現れないということです(当たり前と言えば当たり前ですが)。

次に、大事な部分と思うので原文を引用します。
 

共働き世帯が増え、働き方 が多様化する日本社会においても、各世帯の状況に合わせて、育児に関する様々な責任を夫婦間でどの ように共有し、役割分担するのか考えることが父親の育児参加の重要な側面であり、かつ今後の課題であると思われる。

加藤承彦・越智真奈美・可知悠子・須藤茉衣子・大塚美耶子・竹原健二「総説 父親の育児参加が母親、子ども、父親自身に与える影響に関する文献レビュー」『日本公衛誌』第69巻 第3号 pp.321-337 2022年 より

この論文をまとめると、
父親が実際に行う育児の量の多い少ないよりも、
母親が父親の育児参加をどう認識しているか、母親が納得できているか、そのためのコミュニケーションを夫婦でとれているか、
が大切
ということなのだと思います。

母親が不満ばかりだったり、子どもに怒りをぶつけてばかりでは、子どもは家でエネルギーを回復できません。

令和の父親は、仕事をして家事・育児も頑張っている方も多いと思いますが、
それが実際に母親にどう認識されているか、を時おり意識できると良いのでしょう。

最後に

結婚も出産も離婚も選択するものになっています。

家事・育児の省力化・外注化と寿命が伸びたことで、仕事だけに専念、家事・育児に専念では、
充実感をもって一生を終えられない社会になってきているそうです。

これについては複数の役割を担うことが解決の一つになるのですが、
そうすると親の限られた資源(時間・エネルギー・お金)を親個人の自己実現に使うのか、子どもに使うのか、という葛藤状態になります。

また子どもに親の資源を投入して、(ほどほどに)子どもが育ってくれている実感を得られれば良いのですが、
反対に子どもが顕著な問題行動を起こしたりすると、親のストレスは高まります。

その際に親が家庭外に逃げ場がなく、家事・育児に専念した状態ですと、
子どもの問題を親の育て方の問題と認識して追い詰められます。

このページも〇〇しましょう、のような一般論を書いてしまいましたが…
現実には一般論が通じない状況だからこそ、皆さん困られます。

このような時こそソリューション・フォーカスト・アプローチで問題の状況から一旦離れて、望む姿を見出して進んでいく、
そのようなカウンセリングができると良いと思っています。

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